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1: 47の素敵な 2024/07/19(金) 22:08:20.74
https://www.asahi.com/articles/ASS7K4D52S7KOXIE00FM.html

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今夏も熱戦が続く高校野球。野球一家で育ち、自身もソフトボールに青春を捧げ、練習のしすぎでファンから「焦げレミ」と呼ばれたAKB48の徳永羚海さんに、高校野球への思いや球児へのエールを聞きました。

――高校野球の思い出を教えてください。

 兄が高校球児だったのですが、朝から夜まで練習して泥だらけのユニホームを母が毎日洗っていたのを思い出します。お互い思春期なので、あまり多くは話しませんでしたが、「野球が好き」という熱い思いが伝わってきて、かっこいいなって思っていました。野球は何歳になってもできるけど、高校野球は他の何にも代えがたいのだろうな、と感じていました。

――野球一家だったそうですね。

 父が巨人ファンで野球とソフトボール、姉もソフトボールをやっていました。家のテレビは常に野球中継が流れ、毎年、夏になるとテレビの録画リストは「熱闘甲子園」でいっぱいになっていました。徳永家には旅行イコール野球観戦、という概念があって、夏は高校野球を見に甲子園にも何度も行きました。

――始球式の練習もしていたとか。

 父が「いつか羚海が始球式ができるように」と、小さい頃からキャッチボールの練習もさせられていました。野球が日常だったので「ちょっともうおなか、いっぱいだな」と思うことすらありました。

――中学ではソフトボール部に入りました。

 他にやりたいこともなかったので選んだのですが、私にとってかけがえのない青春の時間で、大きな財産になりました。毎日のミーティング、試合後の反省会、グラウンドが使えない雨の日の階段ダッシュ……。特に、自分の思いを部員に伝える大切さを学びました。

――ソフトボールに熱中する傍ら、中学2年生の時に鳥取県代表としてAKB48に入りました。

 ただ、コロナ禍で東京にレッスンを受けに行くことなどはできませんでした。歯がゆい思いもしましたが、その分、部活に打ち込むことができました。

――「もうおなかいっぱい」と思っていた野球やソフトボールに対して、思いが変わったのはなぜですか。

 野球のルールも学び、試合を見るのもプレーするのも面白くなりました。ソフトボールの球は大きくて、ちゃんとした位置で投げないと変なところに行ってしまう。打つのも重くて慣れるまで大変でした。でも、どんどんのめり込んで。練習しすぎたせいか日焼けがすごくて、ファンの方から「焦げレミ」なんて呼ばれていました。

――今、徳永さんは高校3年生。同世代の高校球児へメッセージをお願いします。

 高校の3年間はあっという間だったな、と感じています。貴重な3年間を野球一筋に打ち込み、結果も見えない、色々な感情が生まれる中でがんばり続けるというのは小さい覚悟ではできないことだと思います。

 どうか、自分を信じて下さい。ここまでがんばってきたという事実がすごいことだと思います。勝ち負けが決まる競技ではあるけれど、最後まで諦めずに自分が思うようにプレーして欲しいです。そして、仲間たちと一緒に楽しんで欲しいという気持ちでいっぱいです。がんばって下さい!(石川瀬里)

2: 47の素敵な 2024/07/19(金) 22:11:13.70
鳥取だと巨人ファンになっちゃうよな

3: 47の素敵な 2024/07/19(金) 22:16:02.23
鳥取は阪神や広島じゃないんか

5: 47の素敵な 2024/07/19(金) 22:24:22.70
可愛い

8: 47の素敵な 2024/07/19(金) 22:37:02.89
焦げてないれみたんはただのれみたんだ

13: 47の素敵な 2024/07/19(金) 22:46:39.96
可愛いよな

16: 47の素敵な 2024/07/19(金) 23:27:14.54

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https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/uraidol/1721394500